色々な母乳育児 3

赤ちゃんが生まれて、多くのお母様方が母乳育児に励んでいらっしゃいます。
スムーズに軌道にのる方もいれば、あれこれ試行錯誤、山あり谷ありで苦労されながら
ご主人や助産師と2人3脚、3人4脚でがんばっている方、色々いらっしゃいます。  

当院は1人でも多くのお母様方に、母乳育児の喜びを味わって頂けたら、、、
そして1人でも多くの赤ちゃんに、1日でも長く、1滴でも多くのおっぱいを吸って頂けたら、、、
そんな思いでケアをさせていただいています。  

育児そのものは大変なことが多々ありますが、嬉しい事はもっとた∼∼くさんあります。
大変な中を乗り越えて赤ちゃんは成長し、親も成長します。もちろん母乳育児も同じです。
大変な中を一生懸命やってこられた方は、あとから振り返った時に、懐かしい素敵な思い出に変わります。。。

他のお母様方の母乳育児を知ることで、皆様が抱えている問題の解決の糸口が見つかりますように。。。

 

電話で泣き出しそうなくらい切羽詰まっていました

    

    北方町  さほママ様

  辛かった思い出を良い経験に変えることができました。


 

女性なら妊娠、出産をすれば自然とお乳は出るものだと思っていた私は、出産して入院中、胸が張ってくることもなくお乳がほとんど出ない状況に酷く落ち込んでいました。帝王切開の出産で、術後の傷が痛くて、ベッドから起き上がることも寝返りを打つこともうまくできず、追い打ちをかけるように、出ないおっぱいの授乳タイムは苦痛でしかありませんでした。それでも母乳育児を諦められず、看護師さんにも吸わせないと出ないから、と言われ、毎回おっぱいを両方で30~40分は吸わせるのですが、子供のお腹が満たされることはなく、授乳後にミルクを与え、授乳だけで1時間以上もかかっていました。そして、やっと寝ることができても、新生児はまた1時間もしたらお腹がすいたと泣くの繰り返し...。搾乳も20分頑張っても10ミリとれるかどうか。まだ十分に柔らかくない乳首は痛くて、寝不足と痛みと情けなさで泣きながら搾乳していました。結局、入院中、母乳をあげる前とあげた後に測る子供の体重が、計測の誤差で減ることがあっても、増えることは一度もありませんでした。

 不安な気持ちを抱えたまま退院の日を迎えました。母乳の出は依然として良くなることはなく、母乳についてインターネットで検索する日々でした。そんなある日、愛助産院のホームページにたどり着き、隅から隅までホームページを読みました。愛助産院に電話をしてみようと思ったのは、自宅に出張して診てもらえることや、何よりもこの先生なら助けてくれるかもしれないと思い、翌朝一番で緊張しながら電話をしました。そうすると、その日のうちに来てもらえることになりました。後から白木先生に聞いたところ、電話の声が今にも泣きそうで悩んでいるのがよくわかったよ、と言われました。確かにそう言われるくらい、私は切羽詰まっていました。

 そして、はじめての乳房マッサージ。マッサージを受けながら今まで心の中に溜め込んできたことを泣きながら一気に話しました。それを先生は静かに、うん、うん、と聞いてくだり、「育児は3つの「あ」が大切だよ。育児は明るく、焦らず、諦めずにね」と教えてくださいました。まさに目から鱗が落ちるとはこのことだ!と思うくらい、一瞬にして心が軽くなり、特に「諦めず」という言葉が私の心にとても響きました。退院して一週間後に、出産した病院の助産師外来へ行くことがありました。娘の体重は日増が10g程しかなく、ミルクを足すように言われました。しかし、白木先生に診てもらっていたので心配に思うことはありませんでした。もし、そうでなければ、その時点で恐らく母乳育児は断念していたかもしれません。 それからしばらくは週に3日、様子をみてその後週1〜2回のマッサージを約2ヶ月受けました。おかげで、入院中に張ったことのなかったおっぱいが張るなんて奇跡が起き(大げさかもしれませんが、私には奇跡に思えました)1ヶ月健診では日増が25g程にまでなり、1か月半を過ぎたころから母乳だけでも大丈夫になりました。我が家では自然と白木先生の話題が増え、うちの夫は先生のことを親しみをもって"おっぱい先生"と呼んでいます。よく、母乳育児は赤ちゃんとの二人三脚と言われますが、先生もあわせて三人四脚だと言えるくらい、私たち親子にとって白木先生は欠かせない存在でした。

 退院後は実家に一か月ほどお世話になりましたが、その間たくさんの方がお祝いに来てくださいました。みなさん「おめでとう」の次には必ずと言っていいほど「母乳なの?よく出る?」と聞かれました。今であれば、それは「今日はいいお天気ね」と変わらない、出産したお母さんとの挨拶程度の会話だとわかるのですが、当時、母乳が思うように出なくて悩んでいた私には、そんな些細な言葉にさえも傷つき泣いたこともありました。それも今ではよい思い出です。母乳育児が軌道に乗り出すと、育児に自信が持てるようになりました。授乳も育児も楽しくて、心に余裕が持てるようになりました。娘におっぱいをあげられることが本当に本当に嬉しかったです。

 振り返れば、私は妊娠が発覚した時から出血があり、切迫流産の診断。中期になっても出血は続き切迫早産となり入院も経験。つわりもひどく自宅では安静状態が続き、仕事も産休までの間に、1か月程しか出勤できず思い描いていた楽しいマタニティライフは幻となりました。後期に入ってから逆子になり、お灸、整体、逆子体操に話しかけ...何をしても逆子はなおらず、自然分娩をしたかった私はそれも叶わず…どう頑張ってもどうにもならないことばかりの連続でした。だけど、それまでの人生、自分の思う通りにわがままに生きてきた私に、ひとつの命を宿している体は自分だけのものではなく、今まで以上に大切に労わること。赤ちゃんは立派なひとりの人格であること。育児は自分の思い通りにいかないことばかりであること。お腹にいながらにして赤ちゃんが大切なことを教えてくれました。もしかすると、そんな妊婦生活だったので、母乳育児への思いがさらに強かったのかもしれません。妊娠、出産、母乳育児に至るまでたくさん辛い思いをしましたが、白木先生に出会い、3つの「あ」を教えてもらい、辛かった思い出を良い経験に変えることができました。

 現在、娘は1歳3か月になりました。第二子を考えていることなどあり先日断乳をしました。できることなら娘からバイバイする日までおっぱいをあげたかったのですが、娘を妊娠中につわりがひどかったことや、切迫流産早産だったこともあり心配だったので断乳に踏み切りました。断乳すると決めてから、一日一回、お母さんのおっぱいはバイバイしてモカ(娘の好きなくまのぬいぐる)になるよ、と言い聞かせました。この言い聞かせは娘へのものですが、そのうち自分にも言い聞かせているのだと感じるようになりました。夫にこのさみしくて切ない気持ちを話したのですが、男性にはピンとこないようで、カレンダーをながめてはひとりしみじみしていました。そして、いざ最後の授乳のとき…娘はその日、すでに4回も、5回もおっぱいを飲んでいたので満足していたのか、あっさりしたものでした。その晩は夫が娘とふたりでお風呂に入り、その間に私は自作のモカのシールをおっぱいに貼りスタンバイ。寝る前に娘がおっぱいを欲しがった時に、シールが貼られたおっぱいをみせると…にやり、と娘が笑いました。切なくも作成大成功の瞬間でした。その後数日は、眠くなるとおっぱいを欲しがるのですが、おっぱいはバイバイしてモカになったんだよ!思い出して~と言うと、娘なりに理解してくれているようでおっぱいから離れていきます。また、なるべく気持ちが紛れるように、断乳後一週間は私の実家に帰り、娘の大好きなじいじとばぁばにたくさん遊んでもらいました。断乳後の乳房マッサージも白木先生にお願いしているのでおっぱいのトラブルもなく過ごせています。

 この1年3か月の間で2回、おっぱいが詰まってしまい先生に診てもらったことがありました。その時もすぐに診て頂けて、本当に助かりました。マッサージを受けている時間も育児の相談をしたり、家族想いのさみしがり屋な夫の楽しい話をしたり、私の癒しの時間でした。母子手帳の各月齢のページに「相談できる人がいますか」という項目がありますが、私は迷わず「はい」に丸をうてます。白木先生の存在は私にとってとても心強く、そういった人が居るだけでこんなにも育児が楽しくできるものなのかと驚いています。娘もいつか子供を生み育てる日が来たら、信頼できる助産師さんをみつけなさい、とアドバイスしてあげたいです。その日を楽しみに今日も育児に奮闘しています。母乳育児は私に多くのことを気づかせてくれました。本当に幸せな時間を娘と過ごすことができました。私の意志を尊重し最大限協力してくれた私の母と夫に感謝。頑張っておっぱいをたくさん飲んでくれた娘に感謝。そして、いつも明るく焦らず諦めず私のおっぱいを診てくださったおっぱい先生本当にありがとうございました!


 

焦る気持ちと劣等感でいっぱいになっていたけれど

    揖斐郡 E-K様

  おっぱい大好きになって、いつも楽しそうに嬉しそうに飲んでいる
        姿を見て、嬉しくて泣けてきました。  


「母乳で育てたい」と思っていたものの、現実はうまくいかず、入院中の授乳室で他のママたちが、おっぱいを幸せそうに上げている姿を見るたび、悲しく、焦る気持ちと劣等感でいっぱいになってしまいました。退院したらお願いしようと、インターネットで探し早々にお願いしましたが、お願いして本当に良かったです。母乳のことだけでなく、日常の食事のことや、病院に行くまでもない、小さな悩みやたくさんの相談にのっていただいたり、とにかくすごく安心でした。

 初めのうちは正直ものすごく大変で、私も子供も泣きながら、「こんなに母乳育児にこだわって、これってただの私のエゴなのか」と、悩んだこともありました。吸う練習、哺乳瓶での練習、搾乳、やっと寝られると思ったら子供が泣きだして寝られず…。 それでも「大丈夫!絶対にうまく飲めるようになるよ!」と言って頂けたから、頑張れました。一人で向き合ったいたら、すぐにあきらめていたと思います。断乳する頃にはおっぱい大好きで、いつも楽しそうに嬉しそうに飲んでいる姿を見て、嬉しくて泣けてきました。 断乳が寂しくて仕方ありませんでした。この‘愛おしい‘という気持ちを味わえて本当に本当に良かったです。一つステップアップしたら、次のチャレンジを、といった感じで少しずつその時その時に合った指導をしてもらえたのも良かったです。 

 私の体調のことと2人目希望もあり1歳3カ月で断乳しましたが、断乳後はわりと朝まで寝てくれることが多いので体調は良くなりました。あとは2人目ですね。もし授かれたら、その時はまたよろしくお願いします!本当にお世話になり、ありがとうございました。


筋力が弱い赤ちゃんの為に

     本巣市  けんけんママ様    

      母乳の大切さを知って

 

  母乳の大切さを知ったのは、ある1冊の書籍からでした。
              私の次男は生まれつき筋力が弱い体で、この世に誕生しました。
元気な産声を上げて、安産で生まれてきましたが、通常の赤ちゃんとは違う筋肉で、弱々しく、何とかしてあげたい!!と、いろんな情報を集めることにしました。
インターネットと友達の情報から、東京で有名な方の本を知ることができました。

 その本には、「ベビーマッサージと母乳育児によって、筋力が弱い赤ちゃんにも少しずつ筋力をつけることができる。」と、書かれていました。

 私は必死で、母乳とマッサージに取り組みました。
もともと陥没乳頭で、出も悪かったため、助産師さんの力をお借りして、頑張って、なんとか母乳が少しづつ出るようになってきました。
とても嬉しかったです。

 今ではおっぱいを吸って安心して、いつも寝てくれるようになりました。
インターネットで母乳がよく出るハーブティーも購入し、諦めずに頑張って良かったと思っています。

 もっと産婦人科の現場でも、母乳の大切さについて教えてもらえるといいのに・・・、と、思います。
(なにもそういうことは教えてもらえなかったので・・・。)

 本当にありがとうございました。